所領村(読み)しよりようむら

日本歴史地名大系 「所領村」の解説

所領村
しよりようむら

[現在地名]小山町竹之下たけのした

小山村の西、足柄あしがら峠北麓の鮎沢あゆざわ川右岸沿いに集落があり、南は竹之下村。寛永一〇年(一六三三)相模小田原藩領となり、以後の領主の変遷は小山村に同じ。延宝八年(一六八〇)の村鑑帳(岩田家文書)では高一〇二石余、家数二〇(うち寺一)、馬二七、反別は約一〇町三反で、うち田は約五割九分を占め、ほかに高外として野畑が四町四反余、相模国矢倉沢やぐらさわ(現神奈川県南足柄市)川村かわむら(現同県山北町)の各関所や地蔵堂じぞうどう(現南足柄市)修理などの諸役を勤め、小物成として紙楮・柿渋などを納めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む