手代木隆吉(読み)テシロギ リュウキチ

20世紀日本人名事典 「手代木隆吉」の解説

手代木 隆吉
テシロギ リュウキチ

大正・昭和期の弁護士,政治家 衆院議員(日本進歩党)。



生年
明治17(1884)年1月1日

没年
昭和42(1967)年3月31日

出生地
北海道

別名
号=胡山

学歴〔年〕
北海道師範学校〔明治39年〕卒,中央大学法学部〔大正7年〕卒

経歴
小学校訓導、校長を経て、大正10年判検事登用試験に合格し、弁護士および弁理士開業。13年憲政会に所属して衆院議員に当選し、以来6回当選。その間、拓務参与官、司法政務次官などを歴任戦後、日本生活資財、松前タルク陶石社長となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「手代木隆吉」の解説

手代木 隆吉
テシロギ リュウキチ


肩書
衆院議員(日本進歩党)

別名
号=胡山

生年月日
明治17年1月1日

出生地
北海道

学歴
北海道師範学校〔明治39年〕卒 中央大学法学部〔大正7年〕卒

経歴
小学校訓導、校長を経て、大正10年判検事登用試験に合格し、弁護士および弁理士を開業。13年憲政会に所属して衆院議員に当選し、以来6回当選。その間、拓務参与官、司法政務次官などを歴任。戦後、日本生活資財、松前タルク陶石社長となった。

没年月日
昭和42年3月31日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「手代木隆吉」の解説

手代木隆吉 てしろぎ-りゅうきち

1884-1967 大正-昭和時代の政治家。
明治17年1月1日生まれ。小学校校長をへて弁護士。大正13年衆議院議員(当選6回,日本進歩党)となり,昭和9年岡田内閣の拓務参与官,戦後幣原(しではら)内閣の司法政務次官などをつとめた。日本生活資材,松前タルク陶石の社長。昭和42年3月31日死去。83歳。北海道出身。中央大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む