手原村(読み)てはらむら

日本歴史地名大系 「手原村」の解説

手原村
てはらむら

[現在地名]栗東町手原一―八丁目

安養寺あんようじ村の北、大橋おおはし村の南西、西流する葉山はやま川の右岸平地に立地。同川に並走する東海道に沿う街村。村名は斉明天皇の頃に村造布佐が伊弉諾尊伊弉冉尊の陰陽神を勧請して、毎夜女の腹に手を置いて唱名したところ、男児(手孕児)が誕生したとの霊験譚に由来するという(「天満宮本社神記」近江栗太郡志)。旅に出た友人の妻を預かった村の男が夜は彼女の腹に手を置いて守ったところ、女は孕んで人の手を産んだので手孕村と称したとの俗伝もある(東海道名所図会)

近世初期には豊臣秀吉の直轄地(前田文書)。慶長検地では高五一九石余(正徳三年「郷村高付帳」中村文書)。寛永石高帳では幕府領三七五石余・旗本竹中領七六石余・同渡辺領五八石余・同諏訪部領八石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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