手塚英孝(読み)テヅカ ヒデタカ

20世紀日本人名事典 「手塚英孝」の解説

手塚 英孝
テヅカ ヒデタカ

昭和期の小説家,評論家



生年
明治39(1906)年12月15日

没年
昭和56(1981)年12月1日

出生地
山口県光市

学歴〔年〕
慶応義塾大学中退

主な受賞名〔年〕
多喜二百合子賞(昭48年度)「落葉をまく庭」

経歴
昭和6年日本プロレタリア作家同盟員となり、文化連盟(コップ)の結成、プロレタリア文学運動再編成の仕事に参加。7年のコップに対する大弾圧により、8年検挙され、懲役2年執行猶予5年となり、11年出獄。その後は「小林多喜二全集」の編さんの一員となり、戦後、精密な伝記「小林多喜二」を刊行宮本百合子死後、26年多喜二百合子研究会の創立に参加、のち副議長を務めた。民主主義文学同盟常任理事。作品集「落葉をまく庭」、「手塚英孝著作集」(全3巻 新日本出版社)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む