小林多喜二(読み)こばやしたきじ

精選版 日本国語大辞典 「小林多喜二」の意味・読み・例文・類語

こばやし‐たきじ【小林多喜二】

小説家。秋田県出身。小樽高商卒。人道主義から社会主義思想、労働運動に接近し、プロレタリア作家として国家権力に抵抗する労働者、農民、共産主義的人間を描く。共産党に入党し、非合法活動中検挙され、拷問を受けて殺された。著作に「蟹工船」「不在地主」「工場細胞」「党生活者」など。明治三六~昭和八年(一九〇三‐三三

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デジタル大辞泉 「小林多喜二」の意味・読み・例文・類語

こばやし‐たきじ【小林多喜二】

[1903~1933]小説家。秋田の生まれ。プロレタリア作家として、国家権力に抵抗する労働者・農民の姿を描いた。官憲に逮捕され、拷問により虐殺された。作「蟹工船」「党生活者」「不在地主」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小林多喜二」の意味・わかりやすい解説

小林多喜二
こばやしたきじ
(1903―1933)

小説家。明治36年10月13日、秋田県下川沿(しもかわぞえ)村(現大館(おおだて)市)の没落農家に生まれる。4歳のとき一家は伯父を頼って北海道小樽(おたる)市へ移住。伯父の援助で小樽商業学校、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を卒業、北海道拓殖銀行に勤務。少年時代から校友会誌や回覧雑誌文壇の投稿雑誌に作品を掲載、また同人誌『クラルテ』も創刊。この間、志賀直哉(なおや)に傾倒し、さらにゴーリキー葉山嘉樹(よしき)に影響され、社会科学の勉強も積んでプロレタリア文学へと進み出、労働運動にもつながった。

 1927年(昭和2)労農芸術家連盟(分裂後は前衛芸術家同盟)に加入、中編『防雪林』(生前未発表)を書く。三・一五事件で検挙拷問された小樽の労働者群像を描いた『一九二八年三月十五日』(1928)を全日本無産者芸術連盟の機関誌『戦旗』に発表し一躍注目を浴び、続けて『蟹工船(かにこうせん)』(1929)、『不在地主』(1929)の力作を発表、左翼文学の最前衛となったが、拓銀を解雇され翌春上京。『工場細胞』(1930)発表直後に逮捕され、治安維持法違反容疑で5か月間収監された。31年出獄後『オルグ』『独房』『安子』(ともに1931)などで文学運動の先陣にたち、日本プロレタリア作家同盟書記長となり、日本共産党に入党後は日本プロレタリア文化連盟の結成に尽力した。32年春、地下活動に入り、文化団体の党グループ責任者として『右翼的偏向の諸問題』(1932)など多くの評論を書き、大作『転形期の人々』(1931~32)に取り組んだ(序編だけで未完)。33年(昭和8)2月20日、スパイの手引きで逮捕され、即日拷問で殺された。『地区の人々』(1933)発表直後であった。死後『転換時代』(『党生活者』の仮題)が掲載された。やや図式的・観念的な主題に傾きながらも、抵抗の精神と人間愛を貫き、大衆に読まれる要素を導入した明快な文体や構想力は、いまも新鮮である。

小笠原克

『『新版 小林多喜二全集』全7巻(1983・新日本出版社)』『手塚英孝著『小林多喜二』上下(1973・新日本出版社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「小林多喜二」の意味・わかりやすい解説

小林多喜二 (こばやしたきじ)
生没年:1903-33(明治36-昭和8)

小説家。秋田県の農家に生まれたが,生家の没落により小樽に移住。伯父のパン工場の手伝いをしながら小樽商業を経て小樽高商に進み,卒業後北海道拓殖銀行小樽支店に勤務。商業学校時代から詩,短編小説などの制作をはじめ,トルストイ,ドストエフスキー,ゴーリキーなどを読み,また志賀直哉に私淑しつつ作家の道を志す。さらに社会科学を学び,労働運動にかかわり,プロレタリア文学運動に参加。1928年3月,三・一五事件直後,全日本無産者芸術連盟(ナップ)が成立したが,その機関誌《戦旗》に《一九二八年三月十五日》を発表して注目され,ついで《蟹工船》(1929)により革命的リアリズムの作家として地位を確立。その後《不在地主》(1929),《工場細胞》(1930)を書き,30年に上京,プロレタリア作家同盟役員,共産党員として活躍中,33年2月逮捕され,特高警察により拷問・虐殺された。その間《転形期の人々》(1932),《党生活者》《地区の人々》(以上1933)など革命運動の発展を描いた力作の制作に心血を注いだ。
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百科事典マイペディア 「小林多喜二」の意味・わかりやすい解説

小林多喜二【こばやしたきじ】

小説家。秋田県生れ。小樽高商卒。初め志賀直哉,ドストエフスキーらに傾倒して小説家を志す。労働運動,社会主義思想に接近し,プロレタリア文学運動の地方組織に参加。1928年《戦旗》に《一九二八年三月十五日》を発表し蔵原惟人の理論の実践として注目された。《蟹(かに)工船》でプロレタリア作家の地位を確立。1931年共産党に入党,コップなどで活動し困難な非合法生活の中で《党生活者》を書いたが,1933年特高警察に拷問・虐殺された。
→関連項目岡本唐貴ナップ(NAPF)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小林多喜二」の意味・わかりやすい解説

小林多喜二
こばやしたきじ

[生]1903.10.13. 秋田,下川沿
[没]1933.2.20. 東京
小説家。 1924年小樽高等商業学校卒業。銀行に勤めながら次第に共産主義運動に近づき,特高警察の拷問と,それに耐える党員労働者の人間像を描いた『一九二八年三月十五日』 (1928) で認められ,29年『蟹工船』『不在地主』,30年『工場細胞』などを発表。 29年には銀行を解雇され,30年には不敬罪などで入獄,日本プロレタリア作家同盟の書記長に選ばれた 31年共産党に入党したが,33年には党活動中再逮捕されて拷問虐殺された。早くから志賀直哉に傾倒して,対象把握の手法を学び,政治運動化したプロレタリア文学の最前衛で,特に集団描写にすぐれたリアリティを完成した。最後まで思想を捨てなかったプロレタリア文学運動の象徴的存在である。その他の著作『党生活者』 (33,発表時『転換時代』) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小林多喜二」の解説

小林多喜二 こばやし-たきじ

1903-1933 昭和時代前期の小説家。
明治36年10月13日生まれ。志賀直哉に傾倒して創作をはじめるが,のち労働運動,社会主義思想に接近。昭和4年の「蟹(かに)工船」「不在地主」でプロレタリア作家としてみとめられる。6年共産党に入党。非合法活動中の昭和8年2月20日逮捕され,同日拷問(ごうもん)で殺された。31歳。秋田県出身。小樽高商(現小樽商大)卒。著作はほかに「防雪林」「党生活者」など。
【格言など】死因を外の同志に知らせてくれ(最期の言葉)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「小林多喜二」の解説

小林多喜二
こばやしたきじ

1903.10.13~33.2.20

昭和前期の小説家。秋田県出身。小樽高商卒業後,同地の銀行に勤める。労働運動・共産主義運動にかかわり,その経験を作品化するなかで,プロレタリア文学の有力な新人として注目される。以降「蟹工船」をはじめ,政治と創作主体との内面的統一をめざした作家活動を続けた。1931年(昭和6)共産党に入党,組織活動に献身するが,33年特別高等警察の拷問により虐殺された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「小林多喜二」の解説

小林多喜二
こばやしたきじ

1903〜33
昭和初期のプロレタリア文学作家
秋田県の生まれ。小樽高商卒。銀行員となったが,のちプロレタリア文学運動に参加し,雑誌『戦旗』に作品を発表。共産党員として非合法活動中に逮捕され,特高警察に虐殺された。代表作に『蟹工船』『党生活者』『不在地主』など。

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デジタル大辞泉プラス 「小林多喜二」の解説

小林多喜二

1974年公開の日本映画。監督:今井正、脚本:勝山俊介、撮影:中尾駿一郎。出演:山本圭、中野良子、森幹太、北林谷栄、南清貴、佐藤オリエ、森居利昭ほか。

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世界大百科事典(旧版)内の小林多喜二の言及

【蟹工船】より

小林多喜二の中編小説。1929年(昭和4)5~6月の《戦旗》に発表。…

※「小林多喜二」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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