手明町(読み)てあきまち

日本歴史地名大系 「手明町」の解説

手明町
てあきまち

[現在地名]会津若松市日新町につしんまち本町ほんまち

半兵衛町組はんべえまちくみ町の北東にあり、かつて岡半兵衛が手明の者(徒手廻りの類か)を置いたので、この名がついたという(新編会津風土記)赤井あかい丁の西に通ずる小路が長さ四八間。この小路より北に折れる通りが三条あり、東は長さ三〇間余、家数五。次は長さ五三間、家数一五、次は長さ三二間、家数一〇。また南に折れる小路が一条あり、末は西に転じて半兵衛町新丁通に通じ、長さ一町一三間、家数一八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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