三条(読み)さんじょう

精選版 日本国語大辞典 「三条」の意味・読み・例文・類語

さんじょう サンデウ【三条】

[一] 新潟県中部の地名。信濃川が支流五十嵐川と合流する地点にある河川交通の要地。元祿年間(一六八八‐一七〇四)から鎌(かま)の製造が始まり、のち刃物、くぎ、大工道具を加えて発展した金物の町。法華宗総本山本成寺がある。昭和九年(一九三四)市制。
[二] 平安京三条大路をいう。また、その沿道の地域名。
[三] 平城京三条大路をいう。また、その沿道の地域名。
[四] 京都市の市街を東西に走る通りの一つ。ほぼ(二)にあたる。

さんじょう サンデウ【三条】

姓氏の一つ。

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デジタル大辞泉 「三条」の意味・読み・例文・類語

さんじょう【三条】[地名]

新潟県中部の市。江戸時代から金物の製造が盛ん。法華宗総本山本成寺がある。平成17年(2005)5月、下田村、栄町と合併。人口10.2万(2010)。
平安京の条坊の一。また、東西に通じる大路の名。三条大路。
三条通り

さんじょう【三条】[姓氏]

姓氏の一。藤原北家閑院流。清華せいが家の一。藤原実行を祖とし、邸宅が京都三条北にあったことから称した。
[補説]「三条」姓の人物
三条実万さんじょうさねつむ
三条実美さんじょうさねとみ

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改訂新版 世界大百科事典 「三条」の意味・わかりやすい解説

三条[市] (さんじょう)

新潟県中央部の市。2005年5月旧三条市と栄(さかえ)町,下田(しただ)村が合体して成立した。人口10万2292(2010)。

三条市西端の旧町。旧南蒲原郡所属。1981年町制。人口1万1785(2000)。信濃川と刈谷田(かりやた)川の合流点東岸にあり,東部は魚沼丘陵西麓にあたる。東部は古くは大面(おおも)荘と呼ばれ中越平野開発の拠点であった。西部は近世に開発された新田地帯で,低湿地のためたびたび水害で悩まされた。特に1961年の第二室戸台風では大きな被害を受けたが,国営刈谷田川右岸用排水事業により乾田化され,良質米の産地となっている。金物で知られる旧三条市に隣接し,国道8号線沿いに鋳物,工具などの工場が立地しているが,零細規模のものが多い。東部の北潟には大正から昭和初期にかけて大面油田があったが,廃井された。日本鶏の産地としても知られ,蜀鶏(とうまる)(天)の飼育が盛ん。信越本線が通じる。
執筆者:

三条市北部の旧市。1934年市制。人口8万4447(2000)。越後平野の一角,五十嵐川と信濃川の合流点に位置する。戦国時代から近世初頭にかけては城下町であったが,のち三条城は廃城となり,その後は信濃川水運の要衝として,2・7の日に六斎市が立つ市場町として再生した。金物の町として有名であるが,これは元禄年間(1688-1704)に五十嵐川のはんらんに苦しんだ農民が副業として和釘(わくぎ)を製造したのが始まりという。以後,大工道具,農具や包丁,はさみなどの日用刃物をつくるようになり,行商によって県外へ商圏を広げ,18世紀ころからは特産品として関東・甲信越地方などに販売された。金属製品,電気機器,機械,鉄鋼などの工業が立地するが,出荷総額2392億円(1995)のうち金属製品が29%を占める。小規模企業では伝統的な刃物,大工道具,農具を,大工場では作業工具やストーブなどの金属製品のほか,運動用具,厨房用品を製造し,工業団地が形成されている。JR信越本線と弥彦線が東三条駅で交差し,隣接する燕(つばめ)市内を上越新幹線と北陸自動車道が通り,燕三条駅,三条燕インターチェンジがある。法華宗総本山本成(ほんじよう)寺,東西本願寺三条別院,鎌倉時代の木造阿弥陀如来立像のある時宗乗蓮(じようれん)寺がある。
執筆者:

鎌倉時代の大槻(おおつき)荘の地で,1297年(永仁5)日印が本成寺を創建した。三条の名の初出は1382年(弘和2・永徳2)である。蒲原(かんばら)郡支配の要地として長尾氏は三条島の城に山吉氏や神余(かなまり)氏を置き,1584年(天正12)には部将甘糟長重が城普請を行った。98年(慶長3)堀秀治は一族堀監物直政に5万石を与えて在番させ,1612年江戸幕府は松平重勝松平忠輝の付家老とし,三条城を与えた。16年(元和2)には市橋長勝が城を元町(旧,古城こじよう)町)に移し,20年稲垣重綱が継いだが,23年廃藩,幕領となった。49年(慶安2)村上藩領となり,藩は飛地領4万石を管轄するため88年(元禄1)三条陣屋を設置した。廃藩により町は水運の便のよい信濃川,五十嵐川の合流点沿いに移転し,舟着場,宿場町,陣屋町,門前町,また金物の町として発展した。
執筆者:

三条市中東部の旧村。旧南蒲原郡所属。人口1万1430(2000)。信濃川支流五十嵐川流域を占め,川沿いの低地と福島県境をなす山地からなる。古くから下田郷と呼ばれた地で,中世には土豪五十嵐氏の支配下にあった。近世には村松藩領となり,五十嵐川沿いの新田開発が進められた。五十嵐川沿いはたびたび水害にみまわれたが,1964年多目的の笠堀ダム,93年には大谷ダムが完成した。笠堀ダム周辺の山あいはニホンカモシカの生息地(天)。五十嵐川上流には八木鼻などの景勝地があり,付近に越後長野温泉(純食塩泉,24℃)がある。
執筆者:

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日本歴史地名大系 「三条」の解説

三条
さんじよう

[現在地名]岩見沢市三条西さんじようにし三条東さんじようひがし

昭和二九年(一九五四)当時、西は一五丁目、東は八丁目まであった。同三一年発行の岩見沢市街案内地図などによると、西一―六丁目には各種商店があり、飲食街となっている。とくに同二丁目には第一―第三中央市場がある。同三―七丁目には病院・医院が多い。同四丁目には岩見沢郵便局(現在九条西に移転)、六丁目に岩見沢ホテル(閉業)があり、八丁目以西は住宅地で商店と小工場も点在。

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普及版 字通 「三条」の読み・字形・画数・意味

【三条】さんじよう

三すじ。

字通「三」の項目を見る

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