手柄山(読み)てがらやま

日本歴史地名大系 「手柄山」の解説

手柄山
てがらやま

現姫路市西延末にしのぶすえ・手柄にまたがる標高四九メートル余りの独立丘。北丘と南丘に分れる。「播磨国風土記」餝磨しかま伊和いわ里の条にみえる「手苅てがり丘」に比定される。丘の名の由来は、この地で近国の神が手で草を刈り食薦すごも(食事の膳)としたという説と、韓人が初めて当地に来た時に鎌を用いることを知らず手で稲を刈ったという説がある(同書)。永享一二年(一四四〇)結城氏朝の乱のとき英賀あが城主三木氏の部下葛井主水が備後の葛西十郎安友の軍をこの山と「甲山」の間で討取ったことにより手柄山と号したとの説もある(飾磨郡誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報