手稲遺跡(読み)ていねいせき

日本歴史地名大系 「手稲遺跡」の解説

手稲遺跡
ていねいせき

[現在地名]手稲区手稲前田

石狩市花畔ばんなぐろから手稲区手稲前田ていねまえだにいたる縄文海進期に形成された標高一〇―二〇メートルの砂丘上の最も南寄りに立地。N1遺跡ともよばれる。この砂丘(紅葉山砂丘)は現在の海岸線から約四キロ内陸に位置し、縄文時代中期以降は良好な居住環境となり、多くの遺跡が営まれている。砂丘の内陸側には手稲山に源を発する発寒はつさむ川が流れる。現在は砂丘のほとんどが宅地化し、一部にその痕跡をとどめるのみである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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