打越町
うちこしちよう
南北に通る間之町通を挟む両側町。東側は渉成園に接し、北側は上珠数屋町通にも面する。
平安京の条坊では左京七条四坊一保二町の南側の地。
町の形成は、寛永一八年(一六四一)以降の市街地化によるものであろう。承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図では「みこし丁」と記され、その後、「打越町」(中井家系の絵図及び宝暦一二年刊「京町鑑」・天保二年改正京町絵図細見大成など)と「みこし町」(木版系統の絵図)の二種の町名が見いだせる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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