承子内親王(読み)しょうしないしんのう

朝日日本歴史人物事典 「承子内親王」の解説

承子内親王

没年天暦5.7.25(951.8.30)
生年:天暦2.4.11(948.5.22)
平安時代中期の夭折した内親王村上天皇藤原安子の子。皇太子がいまだ決まらないとき安子懐妊,男子の誕生が期待されたが,生まれたのは承子であった。天暦4(950)年藤原元方の娘祐姫が村上天皇の男子(広平親王)を生み,続いて安子も憲平親王(冷泉天皇)を生む。第1皇子を抑えての憲平立太子は祖父である師輔一族の栄華を約束するものであった。その立太子儀の王卿饗はわずか4歳の承子の政所が設けた。同年,著裳。飛香舎で父天皇自らが袴腰を結んでいる。

(京楽真帆子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「承子内親王」の解説

承子内親王 しょうしないしんのう

948-951 平安時代中期,村上天皇の皇女
天暦(てんりゃく)2年4月11日生まれ。母は藤原師輔(もろすけ)の娘安子(あんし)。天暦3年内親王となる。天暦5年7月25日死去。4歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「承子内親王」の解説

承子内親王 (しょうしないしんのう)

生年月日:948年4月11日
平安時代中期の女性。村上天皇の皇女
951年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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