曽禰荘(読み)そねのしょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「曽禰荘」の意味・わかりやすい解説

曽禰荘
そねのしょう

伊勢(いせ)国(三重県)一志(いちし)郡にあった醍醐(だいご)寺領の荘園。三渡(みわたり)川の南岸の三重県松阪市の上ノ庄(かみのしょう)町、久米(くめ)町、市場庄(いちばしょう)町、松崎浦町のあたりが荘域かとされる。906年(延喜6)藤原玄上(くろかみ)は同荘を朱雀(すざく)院に売り、朱雀院は948年(天暦2)2月28日に醍醐寺に施入した。施入のとき同荘の水田は140町100歩であった。951年7月、水田の不輸租(ふゆそ)と荘司(しょうじ)、寄人(よりゅうど)らの臨時雑役(ぞうやく)の免除が認められ、965年(康保2)と968年(安和1)に浪人それぞれ54人、50人が開発のために寄進された。荘の預所(あずかりどころ)は佃(つくだ)3町が与えられたが、二季彼岸(ひがん)僧膳(そうぜん)40前と清滝会(きよたきえ)楽人舞人饗(あえ)を負担し、下司(げし)も宿直(とのい)兵士5人を負担している。伊勢平氏の平信兼(のぶかね)は当荘の預所であった。

[西垣晴次]

『竹内理三著『寺領荘園の研究』(1942・畝傍書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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