昭陽舎(読み)ショウヨウシャ

デジタル大辞泉 「昭陽舎」の意味・読み・例文・類語

しょうよう‐しゃ〔セウヤウ‐〕【昭陽舎】

平安京内裏五舎の一。南北2棟で、温明殿うんめいでんの北、麗景殿の東にあった。女官詰め所庭前ナシが植えてあったので、梨壺なしつぼともいう。

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精選版 日本国語大辞典 「昭陽舎」の意味・読み・例文・類語

しょうよう‐しゃセウヤウ‥【昭陽舎】

  1. 内裏後宮五舎の一つ。内裏の東北側にあり温明殿の北、麗景殿の東。南北の二棟がある。女官の詰所で、時には東宮の御在所となった。庭前に梨の木が植えてあったので、梨壺(なしつぼ)ともいう。昭陽殿
    1. [初出の実例]「昭陽舎放火事」(出典:日本紀略‐安和二年(969)二月一九日)

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改訂新版 世界大百科事典 「昭陽舎」の意味・わかりやすい解説

昭陽舎 (しょうようしゃ)

平安宮内裏五舎(飛香,凝花,襲芳,昭陽淑景舎)の一つ。その名は,漢の武帝が未央宮に設けた後宮八区の一つの昭陽殿によるものであろう。南庭中に梨を植えたので,梨壺(なしつぼ)とも称する。内裏の北東部で,淑景(しげい)舎の南,麗景殿の東に位置する。昭陽舎・昭陽北舎の2棟の東西棟が南・北に並び,周囲を築垣で囲む。昭陽舎は,桁行5間,梁行2間の身舎の4面に廂(ひさし)を付けた建物で,北舎は昭陽舎と同規模という説もあるが,《大内裏図考証》は5間・2間の身舎の東・西面に廂を付けた建物に復元する。皇太子内親王居所として用いた。951年(天暦5)撰和歌所を置き,清原元輔大中臣能宣,源順,紀時文,坂上望城らに命じて《後撰和歌集》の編纂と《万葉集》の訓釈に当たらせたことは有名で,この5人を〈梨壺の五人〉と称する。この951年の史料は梨壺の存在を確認できる早い例である。
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百科事典マイペディア 「昭陽舎」の意味・わかりやすい解説

昭陽舎【しょうようしゃ】

梨壺とも。庭にナシを植えたのでこの名がある。内裏(だいり)五舎の一つ。北東隅の桐壺の南にあたる。ここで源順・紀時文・坂上望城・大中臣能宣・清原元輔らが《後撰和歌集》の編纂(へんさん)と《万葉集》の訓釈を行ったことから,この5人を〈梨壺の五人〉と称する。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「昭陽舎」の意味・わかりやすい解説

昭陽舎
しょうようしゃ

平安京内裏五舎 (昭陽,淑景,飛香,凝華,襲芳) の一つ。庭になしが植えてあるので梨壺ともいう。内裏の北東部,麗景殿の東,温明殿の北にある。天暦5 (951) 年撰和歌所がおかれ,清原元輔,大中臣能宣,源順ら5人 (梨壺の五人) がここで『後撰和歌集』を撰した。

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