曾禰荘(読み)そねのしょう

百科事典マイペディア 「曾禰荘」の意味・わかりやすい解説

曾禰荘【そねのしょう】

伊勢国一志(いちし)郡内に成立した山城国醍醐寺荘園。一志平野の南部,三渡(みわたり)川の下流域を占め,三重県三雲町(現・松阪市)の南部から松阪松崎浦町にかけての一帯に比定。896年以前に成立,928年本主の参議藤原玄上から朱雀院が買得し(《醍醐寺文書目録》),948年醍醐寺に施入。寄進田積は140町余。951年の太政官符ほかで不輸と臨時雑役免除が認められたが,伊勢参宮路に位置したためか斎王(斎宮)群行雑事などをたびたび課せられ,国衙(こくが)と争った。平安末期には伊勢平氏が侵略,平兼季が荘田を押取,兼季の孫平信兼は預所となっている。平氏滅亡後は山内首藤(やまのうちすどう)経俊が,承久の乱後は本間家茂が地頭に補任された。建長文永年間(1249年−1275年)以降,惣検注は行われず,年貢も年を追って減少。1338年には近隣の在地勢力が荘内に打ち入り,寺用米などを奪取,松崎浦にあった当荘の船を破却したという。15世紀には北畠氏の侵略を受け,同氏の請所となる。のち北畠氏が所領化し,荘園としての実体は消滅。

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改訂新版 世界大百科事典 「曾禰荘」の意味・わかりやすい解説

曾禰荘 (そねのしょう)

伊勢国一志郡(現,三重県松阪市北東部付近)の荘園。醍醐寺三宝院門跡領。889年(寛平1)以前,藤原玄上によって立荘され,928年(延長6)ころ玄上より後院朱雀院が買得し,948年(天暦2)には醍醐寺に施入された。953年,957年(天徳1)に太政官符,民部省符によって不輸・臨時雑役免が認められた。荘田140町余。平安時代にはたびたび臨時雑役賦課をめぐって国司と対立している。1166年(仁安1)平信兼が預所に補任され,この地に勢力を及ぼしたが,信兼がその所職を没官された後には山内首藤経俊が地頭に任ぜられて入部した。経俊失脚後は地頭は廃されたが,承久の乱後の一時期,本間家茂が補任されたこともある。その後,預所には寺僧が任命されることが多かった。公文は橘氏が世襲し,1222年(貞応1)に基高,46年(寛元4)に良範,1338年(延元3・暦応1)に範明の名がみえる。47年(正平2・貞和3)百姓請が行われたが,15世紀には北畠氏が代官となり,実質的には同氏の所領と化した。1565年(永禄8)大湊(現,伊勢市)の入港船にその名がみえるのを最後として,荘名は消える。建長(1249-56)・文永(1264-75)年間に惣検地が,建武(1334-38)年間に新田検地が行われたことが知られる。
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