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村上天皇 むらかみてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

村上天皇
むらかみてんのう

[生]延長4(926).6.2. 京都
[没]康保4(967).5.25. 京都
第 62代の天皇 (在位 946~967) 。醍醐天皇の第 14皇子。母は太政大臣藤原基経の女,中宮穏子。名,成明。天慶7 (944) 年皇太弟となり,同9年即位し,藤原忠平没後は摂関をおかず親政を行い,天暦8 (954) 年には諸臣に勅して,奢侈を禁じ,売官を停止させた。

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デジタル大辞泉の解説

むらかみ‐てんのう〔‐テンワウ〕【村上天皇】

[926~967]第62代天皇。在位、946~967。醍醐天皇の皇子。名は成明(なりあきら)。関白藤原忠平の死後は摂関を置かず親政を行い、後世「天暦の治」と称された。

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百科事典マイペディアの解説

村上天皇【むらかみてんのう】

平安中期の天皇。醍醐天皇の皇子。946年即位,967年まで在位。政務に精励,天暦(てんりゃく)の治として醍醐天皇の延喜(えんぎ)の治とともに公家政治の理想的時代とされた。
→関連項目飛鳥部常則一条摂政御集円融天皇霧島山後撰和歌集斎宮女御選子内親王

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

村上天皇 むらかみてんのう

926-967 平安時代中期,第62代天皇。在位946-967。
延長4年6月2日生まれ。醍醐(だいご)天皇の第14皇子。母は藤原穏子(おんし)。兄朱雀(すざく)天皇の譲位で即位。天暦(てんりゃく)3年関白藤原忠平の死後は親政をしいた(天暦の治)。詩歌にすぐれ,「後撰和歌集」をつくらせた。康保(こうほう)4年5月25日死去。42歳。墓所は村上陵(みささぎ)(京都市右京区)。諱(いみな)は成明(なりあきら)。別名に天暦帝。法名は覚貞。日記に「村上天皇御記」。
【格言など】円居(まとゐ)してみれどもあかぬ藤浪のたたまく惜しき今日にも有るかな(「新古今和歌集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

村上天皇

没年:康保4.5.25(967.7.5)
生年:延長4.6.2(926.7.14)
平安中期の天皇。名は成明。醍醐天皇の第14皇子で母は関白藤原基経の娘で皇后の穏子。19歳で実兄朱雀天皇の皇太弟となり,2年後に即位。前代からの関白藤原忠平が在位4年目に死去したあとは摂関を置かず親政をすすめた。このことが先の醍醐天皇の治世とともに「延喜・天暦(村上天皇の時代)の治」として後世に聖代視されるが,社会は地方政治の乱れ,国家財政の破綻などにより揺らぎ始めていた。あるとき臣下に今の政道はどうかと尋ねたところ「主殿寮の松明の消費が多く,率分蔵(大蔵省の倉庫)には草が生えている」(公事が夜まで長びき,諸国からの進上物が滞っている)との答えに赤面したという。親政の実態は藤原実頼(左大臣),師輔(右大臣)兄弟(忠平の子)に支えられたものであった。そしてあとを継いだ冷泉・円融両天皇(ふたりは師輔の娘で皇后安子の子)から摂関常置となった。天皇は詩歌,書,琵琶,笛をよくし,詩に関しては菅原文時と論争するほどであった。和歌については梨壺の5人に『後撰集』を選進させ,自作の歌が勅撰集に多くとられている。また天徳4(960)年の春には内裏で大規模な歌合(『天徳内裏歌合』)を催したことはことに有名であるが,この年の秋に平安遷都以来初の内裏焼亡に遭い,深く嘆いている。日記の『村上天皇御記』(逸文として残る)や歌集がある。在位のまま死去。陵は京都市右京区鳴滝宇多野谷にある。

(朧谷寿)

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世界大百科事典 第2版の解説

むらかみてんのう【村上天皇】

926‐967(延長4‐康保4)
第62代に数えられる天皇。在位946‐967年。父は醍醐天皇,母は皇后穏子(おんし)(藤原基経女)。諱(いみな)は成明(なりあきら)。誕生の年に親王,940年(天慶3)元服,944年東宮,946年同母兄朱雀天皇が譲位して即位。治世の初めに関白忠平が没してからは親政を行った。資性聡明で学芸に造詣深く,この時代は《後撰和歌集》の撰進もあり,詩合や歌合なども盛んで,華やかな後宮を背景に宮廷文化が栄えた。政治にも関心深く,朝儀にも精通しみずから儀式書《清涼記》を撰したが現在一部分のみを伝える。

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大辞林 第三版の解説

むらかみてんのう【村上天皇】

926~967) 第六二代天皇(在位946~967)。醍醐天皇第一四皇子。名は成明なりあきら。摂関を置かず親政をしき、後世「天暦の治」と称された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

村上天皇
むらかみてんのう
(926―967)

第62代天皇(在位946~967)。醍醐(だいご)天皇第14皇子。名は成明(なりあき)、母は太政(だいじょう)大臣藤原基経(もとつね)の女(むすめ)穏子(おんし)。朱雀(すざく)天皇の同母弟。944年(天慶7)19歳で皇太子となり、946年禅を受け即位。治政の当初基経の子忠平(ただひら)を関白(かんぱく)とし執政させたが、949年(天暦3)忠平の死後は関白を置かず、親政を行った。律令(りつりょう)制の解体は進み、大嘗会(だいじょうえ)を執行するにあたり国庫のみでは十分に賄えず、忠平の私財に依存するなど、財政状況は悪化していた。ただし忠平死後はその息実頼(さねより)が太政官の首班として治安維持や収取確保に努め、小康を得ていたようである。文化面では和歌所(わかどころ)が設置され、「天徳歌合(てんとくうたあわせ)」(960)や『後撰(ごせん)和歌集』の編纂(へんさん)が行われるなど目覚ましく、皇朝十二銭の最後たる乾元(けんげん)大宝の鋳造が行われたのも村上朝であった。親政を行い、菅原文時(すがわらのふみとき)の意見封事を用い、公卿(くぎょう)登用において比較的公正な人事が行われたことから、後世醍醐天皇の「延喜(えんぎ)の治(ち)」とともに「天暦(てんりゃく)の治」とよばれ、聖代として賛仰された。日記『天暦御記』がある。[森田 悌]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の村上天皇の言及

【延喜・天暦の治】より

…平安中期の醍醐天皇(在位897‐930),村上天皇(在位946‐967)の治世を後世に理想化したたえたもので,ともに治世の代表的年号を冠した呼称。唐の太宗の〈貞観の治〉,玄宗の〈開元の治〉などにならったものであろう。…

【源氏】より

…また醍醐天皇の皇子克明,代明,重明,常明,式明,有明,行明ら諸親王の系統の皇孫で源姓を与えられたものは十数名にのぼり,とくに天皇の皇子源高明は史上有名であって,その弟3人も同じ源姓を賜っている。 ついで村上天皇からは皇子昭平親王が源姓となったほか,致平,為平,具平の諸親王の皇子たちがそれぞれ源氏となった。村上源氏の中でも二品中務卿具平親王の子源師房は従一位右大臣となり,その子俊房は従一位左大臣,顕房は従一位右大臣になるなど,この系流は白河院政成立期に朝廷に権勢をふるい,一時は源氏一門が公卿の過半数を占め,それまで廟堂を独占していた藤原摂関家を圧倒するほどの勢いを示した。…

【絃上】より

…河上神主作という。シテは村上天皇の霊。琵琶の名手藤原師長(もろなが)(ツレ)は,渡唐の志を立てて都を出て,須磨の浦で潮汲みの家に泊まる。…

【天徳内裏歌合】より

…村上天皇が960年(天徳4)3月30日に催した最も盛大な内裏歌合。913年(延喜13)の《亭子院歌合(ていじのいんのうたあわせ)》にならってさらに儀式を整え,後世の模範となった。…

【村上天皇御記】より

…村上天皇の日記。《天暦御記》などともよばれる。…

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