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劉知遠 りゅうちえんLiu Zhi-yuan; Liu Chih-yüan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

劉知遠
りゅうちえん
Liu Zhi-yuan; Liu Chih-yüan

[生]乾寧2(895).2.4. 太原
[没]後漢,乾祐1(948).1.27. 開封
中国,五代の建国者 (在位 947~948) 。諡は睿文聖武昭粛孝皇帝。廟号は高祖。沙陀突厥の出身。初め石敬 瑭 (後晋の高祖) とともに,後唐の明宗に仕えたが,石敬 瑭が北京を留守にすると,その配下に入り,牙門都校,石敬 瑭が後晋を興すと侍衛親軍馬歩都虞侯となった。後晋の高祖が没して少帝が即位すると,知遠は異志をいだき,契丹軍が南下し少帝が北遷したのを機会に,開運4 (947) 年太原に兵をあげ,次いで開封を都として後漢の国を建てた。

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世界大百科事典 第2版の解説

りゅうちえん【劉知遠 Liú Zhī yuǎn】

895‐948
中国,五代後こうかん)の高祖。突厥(とつくつ)の一派である沙陀(さだ)部族の出身で,太原(山西省)に生まれた。後晋の高祖に従って重用され,後晋が契丹族に滅ぼされたのち,947年に太原で即位,間もなく都を汴京(べんけい)(開封)に移したが,翌年54歳で病没した。なおのちの金代の語り物である《劉知遠諸宮調》や明代の戯曲《白兎記(はくとき)》などは,みな劉知遠と妻の李三娘をめぐる架空の物語であり,史実とは関係がない。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

劉知遠
りゅうちえん
(895―948)

中国、五代後漢(こうかん)の初代皇帝(在位947~948)。廟号(びょうごう)は高祖。突厥沙陀(とっけつさだ)族の出身で、初め李嗣源(りしげん)(のちに後唐の明宗)に仕えたが、石敬(せきけいとう)(のちに後晋(こうしん)の高祖)の危難を救い、その配下に移されて功をたて、後晋成立後は禁軍の中枢を掌握しつつ各地の節度使を歴任し、河東節度使(治所は山西省太原(たいげん))となった。しかし第2代出帝が即位し、944年契丹(きったん)の本格的な侵攻が始まると、後晋の敗滅を予想して契丹防御の命令を無視し、自己勢力の保全強化に努め、947年契丹による後晋滅亡に応じて太原で即位した。さらに、激しい反抗にあって中国統治に失敗した契丹が北へ撤退するのに乗じ、中原(ちゅうげん)を制して首都を開封(かいほう)、国号を大漢と定め、名を(こう)と改めたが、在位わずか1年で病没した。[高橋継男]

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世界大百科事典内の劉知遠の言及

【漢】より

…947‐950年。突厥(とつくつ)沙陀部の劉知遠が大梁(河南省開封)に建てた国。後漢ともいう。…

※「劉知遠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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