日本歴史地名大系 「折田村」の解説 折田村おりだむら 群馬県:吾妻郡中之条町折田村[現在地名]中之条町折田中之条町の西北、四万(しま)川左岸にあり、対岸は山田(やまだ)村。北と西には美濃原(みのはら)・成田原(なりたはら)の台地があり、四万川と台地との間は北から上折田(かみおりだ)・中折田・下折田となる。永禄六年(一五六三)一〇月岩櫃(いわびつ)城(現吾妻町)が武田氏の手に落ち、嶽山(たけやま)城の斎藤氏との間に対立が続いた。「加沢記」によると、同年の岩櫃攻めで折田仙蔵の城を真田昌幸が攻めた折、城を守っていた折田(佐藤)将監入道は降参して人質を差出している。岩櫃落城の翌七年二月一四日、信玄は折田将監に「本領塚越分」ほか一三貫三〇〇文の土地を与えた(「武田家朱印状写」折田文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by