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真田昌幸 さなだまさゆき

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

真田昌幸
さなだまさゆき

[生]天文16(1547)
[没]慶長16(1611).6.4. 紀伊
安土桃山時代の武将。幸隆の3男。安房守と称する。初め武田晴信 (信玄) に仕え,信濃上田城主となり,天正8 (1580) 年上野沼田城を攻略してこれを領した。武田氏滅亡後は織田信長本能寺の変後は徳川家康に属したが,同 13年家康が小田原北条氏直と和し,昌幸に沼田城の引渡しを命じたがこれを拒否したため,家康に攻められ,以後豊臣秀吉に属した。

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デジタル大辞泉の解説

さなだ‐まさゆき【真田昌幸】

[1547~1611]安土桃山時代の武将。信濃の人。通称、喜兵衛。上田城主。武田信玄豊臣秀吉徳川家康に仕えた。関ヶ原の戦いでは豊臣側に与し、次男幸村とともに徳川秀忠の西上を阻止。西軍敗北後、東軍に与した長男信之の取りなしで死罪を免れ、高野山九度山に蟄居(ちっきょ)。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

真田昌幸 さなだ-まさゆき

1547-1611 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)16年生まれ。真田幸隆(ゆきたか)の3男。真田信之・幸村の父。武田氏滅亡後,徳川家康に,のち豊臣秀吉にしたがい,信濃(しなの)(長野県)上田城,上野(こうずけ)(群馬県)沼田城をえる。関ケ原の戦いの際は徳川秀忠軍を上田城で阻止。戦後,所領を没収され,紀伊(きい)高野山麓九度山(和歌山県)に流された。慶長16年6月4日死去。65歳。通称は喜兵衛。
【格言など】上田城の備えは城郭の固めにあらず,ただ大将の一心に在る

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朝日日本歴史人物事典の解説

真田昌幸

没年:慶長16.6.4(1611.7.13)
生年:天文16(1547)
戦国時代の信濃国(長野県)を本拠とした武将。源五郎,喜兵衛。安房守と称す。弾正忠真田幸隆の3男。天文22(1553)年より人質として武田信玄の下にあり,武田家ゆかりの武藤姓を与えられて武藤喜兵衛と称し,信任が厚かった。家督を継いだ兄信綱と次兄昌輝が天正3(1575)年の長篠合戦で戦死し,真田姓に復す。同6年越甲(越後,甲斐)同盟の成立により武田勝頼が東上野に侵攻すると,その力を背景に沼田城を攻略,同8年5月には同地を占領して北上野を武田領とした。同10年3月の武田氏滅亡後は織田氏に属し,本能寺の変ののちは北条・上杉・徳川氏の間で帰属を変え,上野・信濃両国の4郡を守るべく画策した。翌年上田城を築き居城とし,上野沼田領については,同17年,豊臣秀吉の裁決により沼田城と利根郡を北条氏に渡した。翌年,北条氏の滅亡により沼田城を回復するが,慶長5(1600)年の関ケ原の戦で西軍(石田三成方)についたため所領は没収。東軍にあった長男信之の嘆願で命は助けられ,高野山九度山に蟄居,配所で没した。

(唐澤定市)

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世界大百科事典 第2版の解説

さなだまさゆき【真田昌幸】

1547‐1611(天文16‐慶長16)
安土桃山時代の武将。生没年には1545‐1609等の説もある。幸隆(ゆきたか)の三男。武田氏に仕え武藤喜兵衛とも称した。武田勝頼より上野国沼田城一円を与えられる。1582年(天正10)徳川家康に属し,信濃国上田城を安堵されたが,85年家康が沼田を北条氏直に与えようとしたため家康と対立し豊臣秀吉に属す。関ヶ原の戦には次男幸村とともに西軍に荷担し,上田城で徳川秀忠の西上を阻止。戦後高野山に追放された。【笹本 正治】

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大辞林 第三版の解説

さなだまさゆき【真田昌幸】

1547~1611) 安土桃山時代の武将。信濃上田城主。初め、織田信長・徳川家康らに属す。関ヶ原の戦いでは豊臣方にくみし、徳川秀忠の西上を上田城に拠って阻止した。のち、高野山麓九度山に蟄居ちつきよ

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

真田昌幸
さなだまさゆき
(1547―1611)

安土(あづち)桃山時代の武将。武田の将幸隆(ゆきたか)の三男。11歳のとき人質として甲府に赴き、のち武田信玄(しんげん)の近侍となり、武藤喜兵衛と称した。1575年(天正3)、長兄、次兄が長篠(ながしの)の戦いで戦死したので、家督を継いだ。80年盛んに上野(こうずけ)(群馬県)に進出、ついに沼田領一円を手に入れた。82年の武田氏滅亡後は織田信長に仕えて本領を安堵(あんど)され、本能寺の変後は徳川氏に属した。しかし、家康が沼田城を北条氏直(うじなお)に与えようとしたため、これに反し、上杉景勝(かげかつ)と結んで85年徳川軍を信濃(しなの)(長野県)上田城に迎撃して破った。ついで豊臣(とよとみ)秀吉に臣従したが、のち秀吉の命で家康に属し、長男信之(のぶゆき)を家康に、次男信繁(のぶしげ)(幸村(ゆきむら))を秀吉に出仕させた。関ヶ原の戦いでは西軍に属し、上田城を死守、徳川秀忠(ひでただ)はそのため合戦に遅れてしまった。戦後高野山(こうやさん)に流され、配所で没した。高野山下九度山で再起の機をうかがって武を練っていたというのは講談で、晩年には赦免の沙汰(さた)を待ちこがれて、寂しく暮らしていた。[小林計一郎]

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世界大百科事典内の真田昌幸の言及

【上田[市]】より

…人口12万3284(1995)。古代には信濃国府・国分寺が設けられ(跡は史跡),戦国時代に真田昌幸が城を築いて以来,城下町として発展,市街は旧北国脇往還に沿って発達した。明治に入ってからは,小県(ちいさがた)郡,さらに南北佐久を含めた東信濃の行政・経済の中心地になり,商圏は群馬県吾妻郡嬬恋(つまごい)村にまでおよんでいる。…

【上田藩】より

…信濃国(長野県)上田に藩庁を置いた譜代中藩。この地方出身の土豪真田昌幸が,1584年(天正12)上田に城を築き,翌年豊臣秀吉に随身することによって領主の地位を安定させた。これが上田藩の起りである。…

【上野国】より

…おもな敵対勢力の解消によって後北条氏はますます勢力を拡張し,84年厩橋の北条氏や新田金山城の由良氏などを降伏させ,上野の支配権をほぼ確立した。武田氏の武将として沼田に入り,武田氏滅亡後独立した真田昌幸は,後北条氏に対立していた。織田信長を継承した豊臣秀吉は後北条氏の服属上京を促すとともにこの間を調停し,真田氏の沼田城退去を条件にその他の真田領の保全を約束させた。…

【真田織】より

…古代の織物〈綺(かんはた)〉を継承したものといわれ,帯として使われてきた。語源は天正(1573‐92)のころ,真田昌幸がこの布で刀のつかを巻いたからという説があるが,定かでない。また,さなはた(狭織)の略ともいわれる。…

【信濃国】より

…ついで98年(慶長3)北信4郡を領した上杉景勝が会津へ去り,田丸直昌(海津),関一政(飯山)と蔵入地が配置された。上田の真田昌幸領を除いて信濃領主は一変し,兵農分離と石高制への移行が進み,近世的支配体制が急速に形成された。豊臣秀吉没後,家康の手で1600年2月,北信の豊臣勢力は廃棄され森忠政が入封した。…

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