抜湯村(読み)ぬくゆむら

日本歴史地名大系 「抜湯村」の解説

抜湯村
ぬくゆむら

[現在地名]甲奴町抜湯

上下じようげ川の支流抜湯川上流域にあり、北は太郎丸たろうまる村、南は有田ありだ村に接し、北東には稲草いなくさ(現総領町)の飛地があった。中世には田総たぶさ庄に含まれたといわれ、下地中分の折には地頭方に属したらしい。

元禄一一年(一六九八)福山藩領より幕府領となり、享保二年(一七一七)以降豊前中津藩領。元和五年(一六一九)の備後国知行帳は上抜湯かみぬくゆ村として一七四・九八五石を記すが、寛政(一七八九―一八〇一)頃の中津藩明細帳(前原篤来氏蔵)では耕地二七町三反六畝余で高二四二石余、うち田方一二町二反三畝余で高一四二石余、畠方一五町一反二畝余で高九九石余、馬二匹、牛二〇匹、井関一二ヵ所、御林二ヵ所。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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