拾六町村(読み)じゆうろくちようむら

日本歴史地名大系 「拾六町村」の解説

拾六町村
じゆうろくちようむら

[現在地名]西区拾六町一―五丁目・拾六町・拾六町団地じゆうろくちようだんち壱岐団地いきだんち十郎川団地じゆうろうがわだんち城の原団地じようのはるだんち上山門かみやまと一―三丁目・生の松原いきのまつばら四丁目・生松台いきまつだい一丁目・石丸いしまる四丁目・西の丘にしのおか一―三丁目・野方のかた六丁目

下山門村の南にあり、東部を十郎川、その東を名柄ながら川が北へ流れる。早良さわら郡の西端に位置し、西は志摩しま青木あおき村・怡土いと上原かみのはる村。村名は十六町とも書く(田圃志など)。近世初頭には下山門村など三ヵ村とともに山門村を構成し、黒田長政入部後分村したという(続風土記)。またかつては上山門村と称されたという(続風土記拾遺)。天文五年(一五三六、同六年の誤りか)秋に大内氏家臣である代官井上若狭守から山門庄内十六町分に賦課された年貢納入を催促された某(青木氏か)は、一一月二九日までに収納することを請負った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報