持寺村(読み)もちでらむら

日本歴史地名大系 「持寺村」の解説

持寺村
もちでらむら

[現在地名]高月町持寺

井之口いのくち村の北、高時たかとき川右岸平地に立地。北国脇往還が通る。寛永石高帳によると高一九〇石余で山城淀藩領。元禄郷帳では膳所藩領(幕末に至る)。高時川から取水する大井おおい堰上六組に属した。白山神社は、延暦三年(七八四)最澄が富永とみなが茂智もち(現廃寺)を創立時、鎮守として白山権現を勧請したと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む