江戸前期の俳人、歌人。丹波(たんば)国(兵庫県)氷上(ひかみ)郡柏原(かいばら)の生まれ。代官田季繁(でんすえしげ)の娘。和歌(おそらく俳諧(はいかい)も)の指導を季吟(きぎん)に受ける。1674年(延宝2)に夫と死別。81年(天和1)12月に落飾し妙融と改め、翌年正月京に出る。83年、盤珪和尚(ばんけいおしょう)(臨済宗)にまみえる。85年(貞享2)播磨(はりま)国(兵庫県)姫路に移り、翌年盤珪に入門し貞閑(ていかん)と改め、同国網干(あぼし)に移る。92年(元禄5)庵号(あんごう)を不徹と定め、庵主となる。世に知られる「雪の朝二の字二の字の下駄(げた)のあと」の句は、後世の付会。
[櫻井武次郎]
いざつまむわかなもらすな籠(かご)の内
『藤本槌重著『貞閑禅尼――出家後の俳人田捨女』(1977・春秋社)』
春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...