田捨女(読み)デンステジョ

デジタル大辞泉 「田捨女」の意味・読み・例文・類語

でん‐すてじょ〔‐すてヂヨ〕【田捨女】

[1633~1698]江戸前期の女流俳人丹波の人。父は郡の代官北村季吟和歌俳諧を学んだ。夫の死後剃髪し、貞閑と名のって参禅

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精選版 日本国語大辞典 「田捨女」の意味・読み・例文・類語

でん‐すてじょ【田捨女】

  1. 江戸前期の女流俳人。丹波国兵庫県)の人。北村季吟の門。六歳の時、「雪の朝二の字二の字の下駄の跡」を詠んだと伝えられる。四一歳で夫に死別、剃髪し上洛庵を結ぶ。寛永一〇~元祿一一年(一六三三‐九八

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朝日日本歴史人物事典 「田捨女」の解説

田捨女

没年元禄11.8.10(1698.9.13)
生年:寛永10(1633)
江戸前期の俳人。丹波国氷上郡(兵庫県)柏原の名家田助右衛門季繁の娘。名はステ。出家後貞閑尼。継母の連れ子又左衛門季成と結婚して,5男1女の母となる。夫と共に北村季吟・湖春,宮川松堅に和歌,俳諧を学び,季吟系の俳書に多くの入集句がみられる。41歳で夫と死別,6年後に出家上京,盤珪永琢に帰依し,禅道に精進する。『続近世畸人伝』に,6歳のとき「雪の朝二の字二の字の下駄の跡」と詠んで人を驚かせたと伝えられ,いろいろな階層,職業の女性を描いた西川祐信の絵本『百人女郎品定』(1723)に「女俳諧」の代表としてその名が載る。<参考文献>上野さち子『女性俳句の世界

(加藤定彦)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田捨女」の解説

田捨女 でん-すてじょ

1633-1698 江戸時代前期の俳人。
寛永10年生まれ。丹波氷上郡(兵庫県)柏原(かいばら)の代官田季繁の娘。6歳で「雪の朝二の字二の字の下駄のあと」とよんだという。北村季吟・湖春,宮川松堅(しょうけん)に和歌と俳諧(はいかい)をまなぶ。結婚して家督をつぐが,夫の死後,出家。盤珪永琢(ようたく)に師事し,貞閑と改名,播磨(はりま)(兵庫県)竜門寺のそばに不徹庵をかまえた。元禄(げんろく)11年8月10日死去。66歳。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「田捨女」の意味・わかりやすい解説

田捨女
でんすてじょ

捨女

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