日本歴史地名大系 「撫木分」の解説 撫木分なできぶん 福島県:耶麻郡山都町撫木分[現在地名]山都町一(いち)ノ木(き)本木(もとき)分の北、一(いち)ノ戸(と)川の流域に位置し、北は一ノ戸村。本集落のほかに南に沢口(さわぐち)、沢口の南東に廻戸(まわりと)(上廻戸)の一区がある。古くは沢口・廻戸とともに藤沢(ふじさわ)村の端村であったが、文化年中(一八〇四―一八)頃に分村、一村扱いとなった(文化一五年村日記など)。西方山間には文政九年(一八二六)に新田開発された端郷柏木平(かしのきだいら)がある。寛文六年(一六六六)の「会津風土記」には藤沢村の端村として撫木・廻戸・沢口がみえる。享保一八年(一七三三)の木曾組手鑑(真部家文書)では高二六九石余(うち新田一一二石余・新畑二八石余)、本田畑は免六ツ一分五厘で、田方八町四反余・畑方五町九反余、家数三八(竈数三八)・人数一九四、雑駄八。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報