撫河郷(読み)なつかわごう

日本歴史地名大系 「撫河郷」の解説

撫河郷
なつかわごう

和名抄」高山寺本に「奈豆加波」、東急本に「奈都加波」の訓がある。天平一一年(七三九)備中国大税負死亡人帳(正倉院文書)によると、郷内に鳥羽里があり、戸主上道臣意穂の戸口服部首八千石、戸主史戸置嶋の戸口史戸玉売がそれぞれ九六束・一一〇束の大税を借りて死亡している。「日本紀略」天元二年(九七九)四月二一日条に郷内の「箕嶋村」に飯のようなものが降って民衆が食べたとの記事がある。「拾遺往生伝」には吉備津宮の神官藤井久任が、剃髪入道後の寛治四年(一〇九〇)に当郷「柴津岡」で火定したとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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