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政田村(読み)まさだむら

日本歴史地名大系 「政田村」の解説

政田村
まさだむら

[現在地名]真正町政田

上真桑かみまくわ・下真桑・軽海かるみ三ヵ村の西に位置し、根尾ねお川とさい川に挟まれた平坦低地に立地。もと弾正だんじよう村と称したが、延宝六年(一六七八)政田村と改称(座右秘鑑)。古代の東山道が通り、仙道せんどううえ・仙道下の小字名が残る。中世には弾正庄が成立。天正二〇年(一五九二)正月一一日の豊臣秀吉朱印状写(一柳文書)によれば、本巣郡内「たん正村」一千七八八石余ほかが一柳直盛に領知安堵された。慶長郷帳には弾正村とみえ、高一千七八八石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では奥平忠隆(加納藩)領。加納藩家中知行渡方帳(森文書)によれば慶長一七年(一六一二)から数年間、重臣大田与三左衛門ほか三〇名の給地。寛永一二年(一六三五)大垣藩領となる。正保郷帳では田方一千三七〇石余・畑方四一七石余。寛文四年(一六六四)大垣藩主戸田氏三家(大垣藩本家・大垣新田藩戸田氏経・旗本牛洞戸田氏好)に分給され、幕末に至った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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