日本大百科全書(ニッポニカ) 「斎王宮跡」の意味・わかりやすい解説
斎王宮跡
さいおうきゅうせき
三重県多気(たき)郡明和(めいわ)町斎宮(さいくう)・竹川(たけがわ)に所在し、天照大神(あまてらすおおみかみ)の御杖代(みつえしろ)として伊勢(いせ)神宮に奉仕した斎王のための広大な宮殿・官衙(かんが)跡。飛鳥(あすか)時代あるいは奈良時代初期に設置され、南北朝期まで存続し、『源氏物語』『伊勢物語』『大和(やまと)物語』などにも登場する。外宮(げくう)まで約9キロメートル、内宮(ないくう)まで約13キロメートルもあって不便なため、平安初期の824年(天長1)から839年(承和6)の間、大神宮司の政庁の置かれた度会(わたらい)の離宮(伊勢市小俣(おばた)町離宮院跡、国史跡)に移されたこともある。官衙である斎宮寮は、従(じゅ)五位官を頭(かみ)とする寮と、従七位官以下の主神司(かんつかさ)のほか、舎人(とねり)、蔵部(くら)、膳部(かしわでべ)などの12司で構成される。殿舎は檜皮葺(ひわだぶ)きと萱葺(かやぶ)きで、斎王は内院を居所とし、寮と諸司は中院・外院に置かれた。1970年(昭和45)以来の発掘調査により、宮域の内をいくつかにくぎる溝、棟方向をそろえた大小の掘立て柱建物跡、柵(さく)列、井戸跡などが明らかにされ、二彩、三彩、緑釉(りょくゆう)、灰釉(かいゆう)の施釉(せゆう)陶器と各種の土器、石帯、八花双鸞(はっかそうらん)鏡、水晶製碁石、緑釉硯(けん)、陶硯(とうけん)などさまざまな遺物が出土。古代・中世の政治、宗教、経済、文学などの諸分野の歴史的解明にとって重要な遺跡であり、79年、東西約2キロメートル、南北約700メートルの範囲が斎宮跡の名称で国史跡に指定された。
[小玉道明]