日本歴史地名大系 「斎藤実盛屋敷跡」の解説 斎藤実盛屋敷跡さいとうさねもりやしきあと 福井県:鯖江市南井村斎藤実盛屋敷跡[現在地名]鯖江市南井町 堀南井(なおい)の字堀(ほり)にあり、斎藤別当実盛の屋敷跡と伝える。「源平盛衰記」によれば、実盛は、越前国押領使藤原利仁将軍の後裔と伝え、越前に生れたという。最初源義朝に仕えたが、平治の乱に敗れてからは平宗盛に仕え、仁安年間(一一六六―六九)武蔵国長井(ながい)庄(現埼玉県大里郡妻沼町)の荘司となった。寿永二年(一一八三)五月、老齢の白髪を黒く染めて参戦し、加賀国篠原(しのはら)(現石川県加賀市)で木曾義仲軍と戦い討死したことは、「平家物語」以下にみえて名高い。実盛の出身地は坂井郡丸岡(まるおか)町長畝(のうね)、敦賀市縄間(のうま)、加賀(かが)市長井町など諸説あるが、当地の斎藤家はその後裔と伝え、真宗高田派の風尾勝鬘(かざおしようまん)寺(現福井市)の開基唯円も、その一族という。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by