斎藤 朔郎
サイトウ キタロウ
昭和期の司法官僚 最高裁判事。
- 生年
- 明治33(1900)年1月31日
- 没年
- 昭和39(1964)年8月9日
- 出生地
- 大阪府高槻市
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法科〔大正13年〕卒
- 学位〔年〕
- 法学博士
- 経歴
- 司法官試補から昭和16年司法省人事課長、20年満州国司法部次長。敗戦でソ連に抑留され24年帰国。刑事裁判官に転じ、「事実認定論」で法学博士。37年参議院法政局長から最高裁判事。38年松川事件再上告審の裁判長として仙台高裁の判決を支持、検察側の上告を棄却、有罪論の下飯坂潤夫と激論を闘わした後、全員無罪の判決を確定させた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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斎藤朔郎 さいとう-きたろう
1900-1964 昭和時代の裁判官。
明治33年1月31日生まれ。参議院法制局長から最高裁判事となる。松川事件の再上告審の裁判長をつとめ,昭和38年全員無罪を確定させた。昭和39年8月9日死去。64歳。大阪出身。東京帝大卒。著作に「事実認定論」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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斎藤 朔郎 (さいとう きたろう)
生年月日:1900年1月31日
昭和時代の裁判官。最高裁判事
1964年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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