20世紀日本人名事典 「下飯坂潤夫」の解説 下飯坂 潤夫シモイイザカ マスオ 大正・昭和期の裁判官 最高裁判事。 生年明治27(1894)年1月29日 没年昭和46(1971)年12月26日 出生地宮城県仙台市 学歴〔年〕東京帝大法科大学英法科〔大正7年〕 経歴札幌、名古屋、大阪、広島各高裁長官を経て昭和31年最高裁判事。裁判そのものが好きで長官になっても実務を担当した。37年の八海事件の上告審の裁判長として、差戻し審の無罪判決を放棄、クロの疑いがあることを指摘。裁判のやり直しを命じた。また松川事件でも第1次上告審で小数意見の有罪説を主張した。第2次上告審にも関与したが、結局この事件は無罪に終わった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「下飯坂潤夫」の解説 下飯坂潤夫 しもいいざか-ますお 1894-1971 大正-昭和時代の裁判官。明治27年1月29日生まれ。札幌,名古屋,大阪の高裁長官をへて,昭和31年から39年まで最高裁判事。37年八海事件の上告審の裁判長として,2審の無罪判決を破棄差し戻し。松川事件でも有罪説を主張,タカ派として知られた。昭和46年12月26日死去。77歳。宮城県出身。東京帝大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「下飯坂潤夫」の解説 下飯坂 潤夫 (しもいいざか ますお) 生年月日:1894年1月29日大正時代;昭和時代の裁判官1971年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by