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松川事件 まつかわじけん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

松川事件
まつかわじけん

第2次世界大戦後,日本国有鉄道 (国鉄) をめぐって起こった3大事件の一つ。 1949年8月 17日午前3時過ぎ,東北本線金谷川駅と松川駅の間のカーブ地点,福島県信夫郡金谷川大字浅川で青森発,上野行き旅客 412列車 12両が脱線,土手下に転覆し機関士1人,同助手2人の3人が死亡,旅客数人が負傷した。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

松川事件

1949年8月17日、現在の福島市松川町の旧国鉄東北線で列車が脱線、転覆し、乗務員3人が死亡した。国鉄や東芝の労組幹部ら20人が関わったなどとして逮捕、起訴された。一審では全員が有罪判決を受け、うち5人が死刑判決だった。だが63年、被告のアリバイが証明されるなどして、最高裁で全員の無罪が確定。翌年に時効が成立した。

(2015-11-13 朝日新聞 朝刊 福島中会・1地方)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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デジタル大辞泉の解説

まつかわ‐じけん〔まつかは‐〕【松川事件】

昭和24年(1949)東北本線松川駅付近で起こった列車転覆事件。国鉄および東芝松川工場の人員整理に反対する労組員・共産党員の犯行とされ、一審二審は有罪となったが、のち裁判への疑問が高まるなか、被告の自白の虚構が判明。同38年、最高裁で無罪が確定した。

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百科事典マイペディアの解説

松川事件【まつかわじけん】

1949年8月17日東北本線の松川〜金谷川間で起こった列車転覆事件。機関士ら乗務員3名が死亡。国鉄および東芝の労働組合員など20名が起訴された。一審,二審とも有罪。
→関連項目宇野浩二青梅事件自由法曹団山崎今朝弥

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デジタル大辞泉プラスの解説

松川事件

1961年公開の日本映画。監督:山本薩夫、脚本:新藤兼人山形雄策、撮影:佐藤昌道。出演:小沢弘治、高松政雄、寺島幹夫、後藤陽吉、山科年男、弥富光雄、高橋弘ほか。1949年に発生した国鉄東北本線の列車転覆事件を題材とする。

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世界大百科事典 第2版の解説

まつかわじけん【松川事件】

1949年8月17日,東北本線の松川,金谷川間で列車が転覆し,機関士など3人が死亡した事件,およびこの事件をめぐる長期の裁判。この時期にはドッジ・ラインによる行政整理の強行,労使の対立の激化の中で,この年7月5日の下山事件,7月15日の三鷹事件と,国鉄をめぐる不穏な事件がつづいていた。事件の翌日の8月18日吉田茂内閣増田甲子七官房長官は記者会見で,これは〈集団組織による計画的妨害行為〉であり,〈三鷹事件をはじめ各種事件は思想的底流において同じものである〉と捜査以前に事件を共産党の破壊工作だと示唆する政治的発言を行った。

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大辞林 第三版の解説

まつかわじけん【松川事件】

1949年(昭和24)8月17日、東北本線松川・金谷川駅間で列車が転覆した事件。乗務員三名が死亡。当局は国鉄と東芝松川工場の労組員・共産党員の共同謀議によるものとして、二〇名を起訴。一審では死刑を含む全員有罪(二審では三名を無罪)の判決が下されたが、被告らのアリバイを証明する新証拠が発見され、無実を訴える広津和郎をはじめとする広範な世論の高揚のなかで、最高裁は事件を仙台高裁へ差し戻し、63年全員無罪が確定。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松川事件
まつかわじけん

1949年(昭和24)8月17日午前3時9分、東北本線松川駅付近で列車が転覆し、機関車乗務員3人が死亡した事件。人為的な鉄道線路破壊が原因であった。事件発生後1か月して、当時19歳の元国鉄工手の自白調書(いわゆる赤間(あかま)自白)に基づき、捜査当局は国鉄労組福島支部員と東京芝浦電気(東芝)松川工場労組員の共同謀議に基づく犯行と断定、最初の逮捕者を含め国鉄側10人、東芝側10人、計20人を起訴した。その大半は共産党員であった。
 当時ドッジ・ラインに沿って行政整理、企業整備が進められていたが、9万5000人の解雇をめぐる国鉄労使の対決はその成否を握っていた。この対抗の最中に起こったのが下山(しもやま)、三鷹(みたか)事件であり、両事件で行政整理反対の闘争意識をくじかれた国鉄労組を三たび襲った怪事件が松川事件であった。しかも、国労福島支部は左派が指導権をもち、反対闘争の拠点支部の一つであった。また東芝は民間企業整備で最大の注目を集めていた経営で、松川工場では東芝労連の指導下でスト突入を予定していた。事件発生の翌日、増田官房長官は「今回の事件はいままでにない凶悪犯罪である。三鷹事件をはじめ、その他の各種事件と思想的底流においては同じものである」との談話を発表したが、捜査はこの談話の方向で進められ、地域的・全国的な労組の闘争、共産党の活動に大きな打撃を与えた。
 裁判では、自白者も含め全被告が犯行を否認し、この自白の信憑(しんぴょう)性、取調べの際に拷問、強制があったか否かが最大の問題となった。一審の福島地裁は、1950年12月6日、死刑5人、無期懲役5人を含め全員有罪を宣告し、53年12月22日の二審仙台高裁判決も、3人を無罪としたほかは死刑を含む内容であった。しかし、上告審に至って、検察側が押収していた、被告らのアリバイを証明する「諏訪(すわ)メモ」の存在が明るみに出、検察の主張する共同謀議説が崩れた。このため最高裁は多数意見(7人、反対5人)をもって、仙台高裁差戻しを命じた。
 裁判の流れを変えた背景には、新証拠の発見とともに大衆的裁判闘争の発展があった。国民に無実と判決の不当を訴える被告自身の通信活動(約15万通)、被告家族の全国行脚(あんぎゃ)による訴えにこたえ、支援体制は未曽有(みぞう)の広がりをみせた。弁護団は二審後173人という空前の規模に達し、志賀直哉(しがなおや)、吉川英治(よしかわえいじ)、川端康成(かわばたやすなり)、宇野浩二(うのこうじ)ら文化人も公正裁判を要請した。なかでも広津和郎(ひろつかずお)は1953年秋、雑誌『中央公論』に「真実は訴える」を発表し、第二審判決後は同誌に54年4月号から4年半にわたり「松川第二審判決批判」を連載、世論をリードした。58年3月9日には、総評、国労、日本ジャーナリスト会議、自由法曹団、国民救援会など四十数団体、および個人が参加する全国組織「松川事件対策協議会」が結成され、その後、松川大行進現地調査、松川劇映画運動(370万人観客動員)などを通じて公正裁判要求、無罪要求を国民世論にしていった。
 こうした支援運動のなかで、最高裁決定を受けた仙台高裁は、多数の証人尋問、現場検証実施、書証提出など事件全体を調べ直し、1961年8月8日、「犯行の直接の決め手は自白のみ」、その自白の信用性は認められず「赤間自白なくして松川事件は存在しない」、実行行為の中心者とされる者のアリバイも明確であり、事件の根幹は大きく揺らいだ、として、被告全員に無罪を言い渡した。ついで、63年9月12日、最高裁は検察側上告を棄却し、14年の歳月を要した裁判は終わった。しかし、翌年8月、事件は時効となり、米軍謀略説もあるが、真相は現在に至るも不明である。
 なお、無罪確定後、元被告人は国家の賠償を求めて訴訟を起こし、1969年4月23日一審、70年8月1日に二審判決が行われた。賠償額は7600万円余であった。[荒川章二]
『松川事件対策協議会・松川運動史編纂委員会編『松川十五年』(1964・労働旬報社) ▽松川運動史編纂委員会編『松川運動全史』(1965・労働旬報社) ▽広津和郎著『松川裁判』上中下(中公文庫) ▽広津和郎著『松川事件と裁判――検察官の論理』(1964・岩波書店) ▽田中二郎他編『戦後政治裁判史録 第1、4巻』(1980・第一法規出版)』

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世界大百科事典内の松川事件の言及

【宇野浩二】より

…《文学的散歩》《文学の三十年》など回想的文学も多い。松川事件にさいしては広津和郎に呼応して《世にも不思議な物語》(1953)を書いた。文学への執念を最後までもちつづけた文学の鬼的存在といえよう。…

【広津和郎】より

…昭和10年代には独自の〈散文精神〉を説き,《巷の歴史》(1940)に庶民生活を描いた。戦後には松川事件と取り組んだ《松川裁判》(1958)や回想をつづった長編《年月のあしおと》(1963)などがある。大正・昭和にわたる文学活動の基調には,自由主義的なヒューマニズムと散文精神が一貫している。…

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