新住村
あたらすみむら
吉野川南岸、下市村の西北に立地。建武元年(一三三四)二月の坊領証文紛失状(吉水神社文書)に「新住水田四段」とみえる。北郷のうち。慶長郷帳では村高五六七・六八石、幕府領(代官大久保長安)。のち延宝検地により村高は六六三・一一七石となった。
寛永一二年(一六三五)下市代官小野惣右衛門によって開かれた新住水路は秋野川滝の釜井手から隧道を用い都町・幸町を通過し、当村全域の灌漑用水となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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