日本歴史地名大系 「新城屋新田」の解説 新城屋新田しんじようやしんでん 兵庫県:尼崎市旧川辺郡地区新城屋新田[現在地名]尼崎市東向島東之町(ひがしむこうじまひがしのちよう)・東向島西之町(ひがしむこうじまにしのちよう)・西向島町(にしむこうじまちよう)初島(はつしま)新田の北西に位置する葭の生えた砂洲であったが、正徳年間(一七一一―一六)に、島下(しましも)郡福井(ふくい)村(現大阪府茨木市)の出身といわれる山田(やまだ)村(現伊丹市)の酒造家新城屋五郎右衛門・新城屋権右衛門により開発された。碇(いかり)の水尾によって西島と東島とに分れる。西島は一三町一反余、東島は一一町一反余。享保元年(一七一六)高入れされて高一四五石余。元文五年(一七四〇)に三三町六反余・高二〇四石余となった(尼崎市史)。天明八年(一七八八)の巡見使通行用留帳(岡本家文書)では高二〇五石余、家数一二・人数六五、高札一、船数一〇(船四・通船六)、年寄要助。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by