新宮鉱泉(読み)しんぐうこうせん

日本歴史地名大系 「新宮鉱泉」の解説

新宮鉱泉
しんぐうこうせん

[現在地名]志雄町新宮

新宮のほぼ中央部にある冷泉薬師やくし湯とも称し、湯元に湯治場守護の薬師社がある。文治(一一八五―九〇)初年、源義経の奥州潜行に随行した備前平四郎定清が、安宅あたかの関(現小松市)脚疾を患いこの霊泉を発見して治療したと伝える(岡山文書)。発見当時は温泉であしの湯と称したが、天正年間(一五七三―九二)佐々成政が馬の首を投入れたため冷泉に変じたという(志雄町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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