新方須賀村(読み)にいがたすかむら

日本歴史地名大系 「新方須賀村」の解説

新方須賀村
にいがたすかむら

[現在地名]岩槻市新方須賀

大戸おおと村の南、元荒川左岸沿いに位置し、集落は自然堤防上に形成されている。元荒川の対岸末田すえだ村。単に須賀村ともいい、菅村とも書いた(風土記稿)。また検地は天正二〇年(一五九二)と慶長三年(一五九八)に行われ、両年の検地帳には「新方庄西川須賀村」と記されていたという(同書)。江戸時代初期から元禄一〇年(一六九七)まで岩槻藩(田園簿・「寛文朱印留」・貞享三年岩槻藩領郷村高帳など)、その後幕府領となるが、宝永八年(一七一一)岩槻藩領に復帰し幕末に至る(享保一九年「岩槻領四ヵ筋村々高帳」新井家文書、宝暦一〇年「大岡忠光領知村寄目録写」中村家文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 年貢米 鎮守

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む