日本歴史地名大系 「菅村」の解説
菅村
すげむら
北を多摩川が流れ、東は
近世は初め幕府直轄領、寛永一七年(一六四〇)旗本中根領、元禄元年(一六八八)以降幕府直轄領。田園簿の村高は四五七石余だがその後新田開発が進められたらしく、延享三年(一七四六)一月の村明細帳(県史七)によれば、元禄三年伊奈氏検地により村高一千一六七石余となり、享保一五年(一七三〇)・同一八年の新田検地を受けて村高が確定。
菅村
すげむら
西は天主山(一四九四・一メートル)をはじめとする山々および
正平九年(一三五四)八月一三日の肥後矢部郷村注文(阿蘇家文書)に「上すけの分 三貫文」「下すけの分 十二貫文」と上下に分れてみえる。南北朝合一時の阿蘇惟郷時代のことを記した小陣惟富書状写・小陣惟長書状(西巌殿寺文書)によると、菅が日向国
菅村
すげむら
生葉郡の西端、
菅村
すげむら
菅村
すげむら
菅村
すげむら
菅村
すげむら
菅村
すげむら
菅村
すげむら
菅村
すげむら
若狭湾に注ぐ
菅村
すげむら
菅村
すげむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報