新浜浦(読み)しんはまうら

日本歴史地名大系 「新浜浦」の解説

新浜浦
しんはまうら

[現在地名]徳島市新浜町一―四丁目・新浜本町しんはまほんちよう一―四丁目・津田本町つだほんちよう四丁目・津田西町つだにしまち二丁目・津田浜之町つだはまのちよう

津田浦の西、園瀬そのせ川が新町しんまち川に合流する地点近くの右岸にある洲。南は勝浦かつうら川河口部(籠ノ口)に面する。もと津田浦の枝浦で、宝永元年(一七〇四)に開発され、新浜の名を付けられたという(郡村誌)。天和二年(一六八二)の蔵入高村付帳に新浜浦とあり、蔵入高三〇石余。文化三年(一八〇六)の名東郡中地高物成調子帳(四国大学凌霄文庫蔵)によれば富田組に属し、一円蔵入地で、高九七石余、物成三八石余。同一〇年の高都帳では高一一三石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む