日本歴史地名大系 「津田浦」の解説
津田浦
つだうら
慶長二年(一五九七)の分限帳によれば津田の三五石余が梯三蔵の知行分。同九年、森甚五兵衛(村重)は阿部山御狩の折、森志摩守より分知の五〇〇石を差戻すよう命じられ、津田浦において屋敷を与えられている。甚五兵衛は翌一〇年には蜂須賀氏から朝鮮での軍功として与えられていた一一五石に加え、新知高六〇〇石を与えられた(阿淡年表秘録)。同一五年志摩守が没し(「森志摩守家来へ被仰出書」徴古雑抄)、元和二年(一六一六)甚五兵衛が森家本家を相続、その後
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報