日本歴史地名大系 「新田作村」の解説 新田作村につたさくむら 福島県:田村郡常葉町新田作村[現在地名]常葉町新田作久保(くぼ)村の東、常葉村の北。殿上(でんじよう)山の西の稜線を北境とする山峡の小村。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では常盤六千九二四石余に含まれ、堀田(ほつた)村と合せて六八五石余は細野九郎右衛門の知行地と推定される。寛永四年(一六二七)の田村郡高目録之写(船引町史)でも常葉町に含まれ、正保二年(一六四五)の在々屋敷数家数并人数(三春町史)で新田作村とみえ、屋敷数三〇・家数五六、人数一三二(男七七・女五五)。万治二年(一六五九)の村高覚(福島県史)の本田高四五九石余。享保四年(一七一九)の取箇并人数(三陽骨要集)の本田高四五九石余・新田高五石七斗余・新開高四石一斗余・栗原新田高九斗余、人数二九三(男一七六・女一一七)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by