新越戸
しんこえと
[現在地名]高知市丸ノ内一丁目
帯屋町の西、郭外上町の北奉公人町東端外堀に至る地にある。元禄一一年(一六九八)の大火後、郭中を囲む大堤の一部を切って通路を造った。この通路を越戸とよぶが、これによって西弘小路の南詰から西へ、北奉公人町への道が通じ、ここに町ができ、新越戸と名付けられたという。天保一二年(一八四一)の城下町絵図に「新コエト」とみえる。
町の南の外堀と大堤との間は、嘉永四年(一八五一)の冬から藩主の放銃場として利用されていたが、文久元年(一八六一)この地から川原町にかけて文武館建設のための用地とされた(高知市沿革略志)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 