日本歴史地名大系 「高知城下」の解説
高知城下
こうちじようか
- 高知県:高知市
- 高知城下
標高四〇メートルの
〔城下町の建設〕
関ヶ原合戦の後、土佐国を与えられた山内一豊は、慶長六年(一六〇一)一月、旧領主長宗我部氏の居城であった浦戸城に入城した。浦戸城の地は浦戸湾への入口にあたり要衝ではあったが、土地が狭く発展性がなく、また旧領主長宗我部氏の居城であるため、人心の一新を図って新城建設を計画、徳川家康の許可を得て大高坂山を城地として選んだ。大高坂山には南北朝時代、この地の土豪大高坂松王丸の城があり、長宗我部元親も
この築城と並行して城下町の経営も進められた。城下町は当初、南側は鏡川、北側は江ノ口川を境とした。高知城を中心に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報