新野辺村(読み)しのべむら

日本歴史地名大系 「新野辺村」の解説

新野辺村
しのべむら

[現在地名]加古川市別府町新野辺べふちようしのべ別府町宮田町べふちようみやでんまち別府町中島町べふちようなかしままち別府町新野辺北町べふちようしのべきたまち金沢町かなざわちよう

口里くちり村の東に位置する。西部を別府川が流れる。新野部村とも記し、シンノベともよぶ。永正一二年(一五一五)八月日と天文三年(一五三四)八月日の鶴林寺寺料田惣目録(鶴林寺文書)には、承仕散田・寄進散田の作人として新野辺の住人一五名以上の名がみられ、寄進者としては五郎左衛門・衛門大夫を記す。天正一〇年(一五八二)八月二八日、羽柴秀吉は山名尭熙に対し「志のへ」の高七七二石の知行を認めている(「羽柴秀吉判物」記録御用所本古文書)。姫路城主池田輝政は慶長五年(一六〇〇)新野辺村内の高三五四石余の年貢を徴収することを福田牛介に許したが、翌六年には当村の高九二五石などの知行を同人に認めた(「池田輝政家臣地方知行状」鳥取県立博物館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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