新開池
しんかいいけ
市域北部にあった大池。七世紀後半から八世紀にかけて、河内低地中央には広大な湖沼があったが、流入する大和川諸流などの堆積作用で陸化が進み、近世には新開池と北東の深野池(現大東市)が残った。二つの池はもとは一つで勿入(磯)淵とよばれた。「枕草子」に「淵は、(中略)ないりその淵、たれにいかなる人のをしへけむ」とみえ、大東市諸福六丁目に「勿入淵址」の碑がある。なまって内助(内介)が淵(池)ともいう。一七世紀末までは深野池の水が深野川となって新開池に注いでいた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 