日本歴史地名大系 「於田江保」の解説 於田江保おだえほ 愛知県:名古屋市西区中小田井村於田江保現西区山田(やまだ)町中小田井(なかおたい)・上小田井(かみおたい)、現西春日井郡西春(にしはる)町・西枇杷島(にしびわじま)町一帯か。東(ひがし)保・中保・西保・犬丸名がみえ、いずれも国衙領。文和二年(一三五三)の尾張国正税納帳(醍醐寺文書)によれば、七月一四日より八月二三日の間に東保は国衙正税一貫文を国衙領の領主醍醐(だいご)寺三宝(さんぼう)院上使に納入している。応永四年(一三九七)の尾張国目代光守注進状(同文書)に「正税方神講并無其沙汰在所」として、犬丸三貫文、中保・西保三五貫八〇〇文(四〇貫文のうち四貫二〇〇文は先給人納入済)とし、三者とも「若君御領」である。同年一二月の尾張国在庁等注進状(同文書)では国領初任御検注料足無其沙汰所々として、犬丸五貫五九〇文、中保・西保五二貫四〇一文となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by