日本大百科全書(ニッポニカ) 「西枇杷島」の意味・わかりやすい解説
西枇杷島
にしびわじま
愛知県北西部、西春日井郡(にしかすがいぐん)にあった旧町名(西枇杷島町(ちょう))。現在は清須(きよす)市の東部を占める一地区。旧西枇杷島町は1889年(明治22)町制施行。2005年(平成17)清洲(きよす)町、新川(しんかわ)町と合併して市制施行、清須市となる。JR東海道本線、名古屋鉄道本線、同犬山線、国道22号、名古屋高速清須線が通じる。枇杷島の語源は、庄内(しょうない)川の中州にビワの木が繁茂していたからというが、つまびらかではない。庄内川右岸にあり、旧美濃(みの)路の要衝、枇杷島市場があった。1990年江戸時代の青果問屋を復元した問屋記念館が開館した。下小田井(しもおたい)は中世の小田井城のあった所で「小田井人足」(サボタージュの代名詞)の語のおこった地である。尾張(おわり)藩時代、庄内川の洪水の際、右岸堤防を切らせて名古屋城下を守ろうとする藩役人の命令を、のらりくらりとサボったことから生まれたことばである。
[伊藤郷平]
『『西枇杷島町史』(1964・西枇杷島町)』