日名子実三(読み)ヒナコ ジツゾウ

20世紀日本人名事典 「日名子実三」の解説

日名子 実三
ヒナコ ジツゾウ

大正・昭和期の彫刻家



生年
明治26(1893)年

没年
昭和20(1945)年4月25日

出身地
大分県臼杵市

学歴〔年〕
慶応義塾中退,東京美術学校彫塑科〔大正7年〕卒

経歴
朝倉文夫師事。東台彫塑会に参加、大正8年から帝展に連続入選、13年には特選。15年斎藤素巌らと在野の彫刻家グループ・構造社を創立、同社友として応用彫塑の道をつけた。昭和4年フランス、イタリアに渡り、帰国後の10年帝国美術院改組に際し、第3部会を結成、15年国風彫塑会と改めた。代表作は第14回帝展の「椅子に凭れる女」、第1回第3部会展「宗麟像」、宮崎市の「平和の塔」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日名子実三」の解説

日名子実三 ひなこ-じつぞう

1893-1945 大正-昭和時代前期の彫刻家。
明治26年生まれ。朝倉文夫に師事。大正8年「晩春」が帝展初入選。15年斎藤素巌(そがん)らと構造社を設立。外遊後,帝展無鑑査となる。昭和10年帝展の改組で第三部会(のち国風彫塑会と改称)を組織した。昭和20年4月5日死去。53歳。大分県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。作品はほかに「椅子に凭(もたれ)る女」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の日名子実三の言及

【明治・大正時代美術】より

…浅野孟府(もうふ)がアクション展にアルキペンコの影響を受けた作品を出品し,また三科展には,ダダのオブジェ風の作品が現れたが,試みを超える展開を見せるまでには至らなかった。26年斎藤素巌(そがん)(1889‐1974),日名子実三(ひなこじつぞう)(1893‐1945)らは,建築と彫刻の結びつきを主張して構造社を結成する。また同年,国画創作協会に彫刻が加わったとき,ブールデルに学んで帰国した金子九平次(くへいじ)(1895‐1968)が中心となったが,28年に同会が国画会に改組すると,高村光太郎,清水多嘉示(たかし)(1897‐1981),高田博厚(ひろあつ)(1900‐87)らが加わった。…

※「日名子実三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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