日向輝武(読み)ヒナタ テルタケ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「日向輝武」の解説

日向 輝武
ヒナタ テルタケ


肩書
衆院議員(政友会),草津鉱山重役,人民新聞社長

生年月日
明治3年8月

出生地
群馬県西群馬郡井出村

学歴
東京専門学校(現・早稲田大学)卒

経歴
米国に留学、パシフィック大学で政治、経済学を学び、滯米10年、この間サンフランシスコで新聞を発行。明治30年帰国し、草津鉱山、茂浦鉄道重役となり、人民新聞社長、日本電報通信社取締役を兼任。35年以来群馬県から衆院議員当選5回。尾崎行雄らと同志研究会を組織、反政府運動に走ったが、のち政友会に入った。

没年月日
大正7年5月28日

家族
妻=林 きむ子(日本舞踊家) 四女=林 一枝(日本舞踊家)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日向輝武」の解説

日向輝武 ひなた-てるたけ

1870-1918 明治-大正時代実業家,政治家
明治3年8月生まれ。21年渡米。大陸移民会社をつくり貿易などに従事し,31年帰国。京浜銀行常務,人民新聞社長などをつとめた。34年日本広告(現電通)初代会長。35年衆議院議員(当選5回)。大正7年5月28日死去。49歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身。東京専門学校(現早大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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