日置新御領(読み)ひおきしんごりよう

日本歴史地名大系 「日置新御領」の解説

日置新御領
ひおきしんごりよう

日置北ひおきほく郷に付属して新しく開発された名田で、現在の日吉ひよし町中部一帯に比定される。元亨四年(一三二四)と推定される日置北郷下地中分絵図(東京大学史料編纂所蔵)には、おお川に架けられた「ニカタノハシ」右岸付近に新御領が記される。同橋を現在のまつ橋にあてる説と、それより西側とする説がある。建久三年(一一九二)一〇月二二日の関東御教書(島津家文書)に新御領名田等とみえ、平安末期まで阿多四郎宣澄が知行していたが、宣澄が平家与同のかどで没収され、島津忠久地頭職を与えられた。その後地頭職は伊作島津家に、領家職は奈良興福寺一乗いちじよう院に伝えられたが、両者の間で対立があり、元亨四年一二月二日に和与が成立して下地が中分された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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