日見宿(読み)ひみしゆく

日本歴史地名大系 「日見宿」の解説

日見宿
ひみしゆく

[現在地名]長崎市宿町

江戸時代、長崎路に置かれた二五ヵ宿の一つ。西の長崎まで二里で、難所の日見峠があった。東は一里の矢上やがみ宿。慶安二年(一六四九)の肥前国道法帳に長崎路の肥前佐賀藩領内一四ヵ宿駅の一つとして「日見町」とみえる。年未詳の天草海辺図(熊本大学図書館蔵)でも日見町とする。「長崎江之通路、本通宿駅」で、矢上との間は山坂難所であった(「泰国院年譜地取」天明三年六月・七月条)。貞享二年(一六八五)六月一八日、丸山可澄諫早いさはやから四里の矢上、それより一里の「辺見」を経て二里の長崎に至っている(筑紫巡遊日録)。享和二年(一八〇二)菱屋平七は矢上から日見村に着き、「村ながら町なり。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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