日高庄
ひだかのしよう
成立年代、領主ともに不詳。位置は薗財庄の南ともいわれるがつまびらかでない。「為房卿記」永保元年(一〇八一)九月二九日条に「薗財庄日高庄等送粮糧等」とあり、藤原為房の熊野詣の食料を日高庄が出している。「中右記」天仁二年(一一〇九)一一月五日条に「至今日重方宅、従件所又以伝馬日高庄馬也、至宿所宮原」とみえ、藤原宗忠一行は岩内付近の住人日高重方の家から宮原庄(現有田市)まで行くのに、日高庄の伝馬を利用している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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